獰猛に座礁引揚…
大厄の乱とでも申すべきか。
四十路の初めに人生初の入院、ついでに九死に一生を得るなんてことを経験してからと言うもの、色々な思考に対して「最後の」と言うフレーズをつけてしまうことが多くなった。
免許年齢から連れ添い、親兄弟の次に長い付き合いとなった二輪にも、同様の感慨を持ちつつ付き合っているのは、至極普通の考え方であり、その思考が一般的にも個人的感情的にも「歴史上の」数台から愛車を選択すると言う結果を生み出していた。
多感なヒストリーに包囲された時代の夢であったリアル刀(GS650G)との生活を選択したこの一年は、まさに感情の具現化であり、「反骨よ蘇れ」という自分へのメッセージでもあったようにえ思う。
日本の卓越した工業技術によって作られた30年前の内燃機は、調子が良いときは経た年月を全く感じさせないほど鉄の魂として十分な躍動を頂くことが出来たのであるが、好調を持続するのに一定の努力を伴う【儀式】を必要とし、二輪だけと生きて行くことが出来た時代を遥か過去にしてしまったのと同様、過去は過去という現実を顕著に感じる結果をもたらした。加えて経年変化した外装品は、手を加えたところから逆順のいわゆるイタチごっこであり、往年のコンディションとは掛け離れたところでの自己満足にも限界を感じるところがあった。
すべてを納得の行くレベルまで持ち込むために必要な時間と資金は、どこをどう捻っても捻出できない現実のなか、最低限の調子も維持できないタイミングで車検の季節となり、朽ちるのを待っている訳ではないのだが、車庫の肥やしとなりつつあった。
時代の感性を取り戻す目的が、次代の完成を待ち望むウエイター状態。
待っていても何も変わらず、動かなければ何も起きないジレンマの日々は、本当にひょんな人生のエピソードが句読点をうち、新しい段落への一筆を落とさせて頂くことが可能となった。
単気な心臓をシンプルに抱え込んだ質素なクルーザーは、すべての虚飾を排除し、今更ながらにあたらしい生き方を目指す自分にとって必要欠かさざる存在となる予感を十分に感じさせるとともに、このスタイルに二輪の原点を持つ自身を思い出させるのに事足りるリアルさを有し、腹部に完治なき病を抱え込み、ときに力を込められないという忘れたい現実を、その存在の軽さで忘れさせてくれるという副次的な有り難みを感じることが出来る。
メーカー開発者が、当たる当たらないの八卦見を通り越して、『どこにも存在しない』を具現化出来た20年前の化石のようであるが、今現在の拙者にとっては、唯であり金字塔であり縋るべきものであると確信。
リアルな青春同様、青春群像を追うにも我が齢が行き過ぎたと自覚をさせられた『空白の一年』を経て取り戻すことの出来た二輪のある道。
獰猛、荒々しいというイメージから名付けられた【サベージ】という存在は、我が魂の悶々とした部分を【サルベージ】してくれた。
まさに過言ではなく、これからの齢と刻む轍は、こいつとともに。
で、ある。
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